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皆さん、前回のマラウィ私信から約1カ月半時間が空いてしまいました。リロングェは、9月の中旬から、あれよあれよという間に真夏に突入です。8月の末に戻ったときにもうすでにジャカランダの木が紫の花を付け始めていて、「今年はちょっと季節が早い」と感じていました。毎朝、台湾人の友人と早足散歩をしていますが、ジャカランダの花の咲き方が去年とやや違います。一斉に満開、という様子ではなく、あの木が咲いた、この木が次、あら、あの木はもうおしまいというようにばらばらなのです。去年のように雨が極端に少ないと、こちらの主食であるメイズの収穫にも影響がでるので、自然界のサインのような木々の花の付け方がとても気になっています。今年の雨が待たれます

さて、今日は皆さんに嬉しい報告です。今年の夏、各地でお願いした寄付金がやっと陽の目をみます。マザーテレサの子どもの家の井戸掘りの許可がやっと下りました。この1ヶ月半、いろいろな人脈やコネを駆使し、この井戸の許可をとるために奔走していました。そもそも、リロングェの水事情はとっても複雑です。街の中を通る水道は、市の水道局の管轄です。この水道局が料金の取り立ても行います。また、計画断水をするのもここ。ところが、井戸の許可を下ろすのは、水資源省という政府レベルの機関なのです。これが、なかなか汚職の巣と言われているところで、外国政府や国連といったバックのついていないマザーテレサのシスターたちにケンモホロロの態度でした。ただ外国人の私の顔を見せるかどうか、ということに悩んでしまいました。本来ならば顔を貸すくらいお安い御用なのですが、この汚職の巣で外国人の関わりがある、と知られた段階で賄賂を要求される可能性が非常に大きかったからです。そこで、私はあくまで黒子に徹しました。背後からいろいろ影響力のありそうな人を紹介してもらったり、電話をかけたりしました。しかし、直接に動けないことはかなり制約もあり、結局、許可を勝ち取ったのは、シスターバシラの粘り勝ちです。

シスターバシラは水資源省の役人を子どもたちのところに連れてくるのに成功しました。そのときの役人の言葉に私はびっくりしてしまいました。彼らは子どもの家の子どもたちに直面することを怖がっていたのです。「・・・死んでいく子どもたちなんですよね。私は精神的に落ち込むので、子どもたちと直接会うことは勘弁してください」などと言ったのです。私は、「自分だってマラウィ人なのに」と、めらめらと怒りが燃え、背後から彼を睨み付けたのですが、さすがはシスターバシラです。あわてず騒がずこう言いました。「この子たちの中にはもちろん、これから先病気で死んでいく子どもたちもいますが、健康な子どももたくさんいます。水がない状態がどんなに大変かは直接見ていただいたほうがいいのです。どうぞ、こちらに来てください。」ここまで穏やかに言われた以上、この役人も彼女に従わざるを得なく、しぶしぶと子どもたちが遊ぶ中庭に入ってきました。この週はたまたま水が水道局から切られていた週で、子どもたちはお世辞にもきれいではありませんでした。でも、この役人を迎えたのは子どもたちの笑顔でした。子どもたちはこのごろ、外国人を含むお客さんの訪問になれてきていて、お客さんは飴やお菓子をくれる人、と理解していますから、お客さんにとっても嬉しい笑顔を見せてくれるのです。彼の周りにもスキップで集まってくる子どももいました。どうやら、病気で横たわっている子どもたちを想像していたらしいこの50代の役人は想像以上の子どもたちの可愛らしさに心を打たれたようでした。そして彼は、この子どもたちが実際にここで生活し、自分たちと同じように水を必要としている、という当たりまえのことに心を動かされたようです。そして、この子どもたちの状況を自分の判断で改善できることにも。

この二人のそばで一部始終を見ていた私も自分の浅はかさを改めて恥じました。知らないことからくる「偏見」を非難したり、憤ったりしてはいけないのですね。無知からくる偏見に出会ったらそれをちょっとの時間差で乗り越えている私たちが手を差し伸べればよいだけのことでした。

さて、私としては、許可が下りたら業者の選定をして・・・、と思っていたのですが、さすがは途上国、もうシナリオが出来上がっていたようです。この役人が来て2週間後に、インド人経営の会社が子どもの家にやってきました。
測量をしなくては正式な許可が下りない、というのです。
私は頭の隅にチラリと「どうして業者が許可のための測量をするのかなぁ」とは思ったのですが、とにかく、測量を終えないことには許可が下りない、ということでしたので見守ることにしました。すると、あれよあれよという間にことが進み、測量を終えてから3日後には、この業者が工事を始めていたのです。ただ、この業者も子どもたちの状態を見て、大変心を動かたようで、費用も良心的なものでした。なんと電気ポンプ付き、2トンタンク付き工事費もろもろ一切混みで395,000クワチャ、日本円にして約56万5千円になります。これは密かに私が集めていた他の業者の見積もりに比べてもかなり良心的なものでした。そしてこれはこの夏に皆さんからいただいた寄付とほとんど同額です。ただ、シスターバシラの元には地元の教会からも寄付の申し出があり、話し合いの結果、今回のこの井戸にはその総費用の半額強の200,000クワチャを負担させてもらうことにしました。残りのお金は折を見て必要なものを揃えたいと考えています。


さてもうひとつ、私の恥をさらしましょう。夏に皆さんの善意のご寄付をいただいてこの井戸が完成することにものすごく興奮していた私は
皆さんの善意を何とか形に表すことを思いついたのです。そこで、
日本人根性丸出しで、シスターに聞いてしまったのです。「井戸のはじに小さな文字で構わないのですが、この井戸が日本の友達の寄付によって掘られた、ということを書いたプレートを置かせてもらえますか・・・?」シスターの答えは想像できますよね。シスターたちはこういったことも「すべては神の思し召し」ですので、他の人や団体にそのときそのときの感謝を忘れることは決してないにしても、形に残るものでの感謝を表すことは修道会のルールでできないのです。シスターたちのこういうルールは頭で理解していたと思っていたのに、身にしみてはいなかったのですね。こういうところに、「自分のしたことには見返りをもらう」、という資本主義社会の恩恵にどっぷりつかった悲しい習性が無意識に出てしまうのです。反省しています。相手にまったく見返りを求めない行動って、本当に難しいことです。まだまた修行が足りませんでした。でも、皆さんのお金は間違いなく、75メートルもの深いところから汲み上げられるきれいな安定した水となって子どもたちに届きました。ありがとうございました。



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